下垂体
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入院・手術
1997 年1月〜2月  大学病院に入院。内分泌代謝の病棟。看護婦さんか ら病棟案内や規則などの説明を聞く。現在の体調や病気の症状などを詳しく聞かれる。翌日から検査が始まる。心電図、肺活量、レントゲン・・・。疲れる。
1997 年3月上旬   一通り検査も終わりついに手術方法が決まった。経蝶形下垂体手術。それも2回。説明によれば、腫瘍が大きくかつ上方向に向かっているので一回目の手術で 取れるだけとって、しばらく様子をみて腫瘍が下がってきたらまた手術する事になるらしい・・・。
 術前1週間前から口呼吸の練習が始まる。理由は手術後、鼻の中にガーゼ を詰めるので鼻から呼吸ができなくなるから。元々鼻詰まりだったので練習しなくてもうまく出来た。 
1997 年3月中旬  いよいよ手術。当日は家族に見守られながら、スト レッチャーで手術室へ・・・。手術室内の印象はテレビの中に出てくるやつと同じだった。「手術直前とい うのに不思議と余裕がある、ナゼ?」と思いながら、手術台に移りました。看護婦さんが血圧計を巻いたり、点滴を打ったりと手際よく仕事をされて、ついに 麻酔をかけられる時が・・・。これまたテレビと同じで、酸素マスクをはめられて、「今から麻酔をするから数を数えてね」と指示があり、3つ数えたくらいで 意識がなくなる。次に意識が戻った時は手術は終わっていました。後日、手術の説明がありました。「腫瘍が下がってきたらもう一度同じ手術をする。予定では 約一ヶ月後です。」正直自分が思っていたより手術は楽でした。2度目の手術も同じ方法と決まっていたので、不安はありませんでしたが、鼻の中のガーゼはや はり違和感があって気持ち悪 かったです。
1997年4月中旬   2回目の手術前、腫瘍の状態を調べた結果、あまり下がってきてなかった。しかし2回手術での腫瘍摘出を計画さ れていたので、一度目の手術で鼻の奥のに入れていた管を抜くなどの処置はしなくてはならなかった。
 2度目のハーディ手術を受ける。手術の結果、やはり腫瘍は取れず残っている腫瘍は頭を開けて取ることになった。
1997年5月末   一時退院することになった。入院生活が長くなり、一度自宅に帰ることに・・・。一ヶ月ほど自宅療養することになる。
1997年7月上旬   再度入院。この時はもう頭開手術は決まっていたので、覚悟を決めての入院。頭開手術のための検査を受ける。
1997年8月上旬  手術当日。少し早めに起床。床屋サンが病棟までやってくる。髪の毛を切る(スキンヘッドになる)。生まれて 初めてのボーズ頭。鏡で自分を見て笑ってしまった。 しばらくすると看護婦さんが来て、「じゃー行きましょうか。」の声。手術室へ・・・そして手術台 へ・・・。 頭開手術開始から8時間後、めでたく生還。しかし今回の手術 はきつかった。手術後、ナースステーション近くの病室で観察されながらの3日間はしんどかった。体中に管がつながっており、おまけに頭にも管がささってい た。4日目に一般病棟に移ることができ、自分で歩くこともできるようになって順調に回復していった。しかし、頭痛だけはひどかった。「頭を開けたからしば ら くはしょうがないのかな?」と思いながら過ごす。手術後、血糖値が異常に上がり、インスリンを打ち始めた。いきなり糖尿病患者に変身。
1997年8月下旬  糖尿病治療が始まる。糖尿病治療なら地元の総合病院でできるので、転院することになる。
 地元の総合病院に入院。ここでは主に糖尿病を治療する。インスリンによる血糖コントロールが始まる。この頃から体調が思わしくなく(主に頭痛)寝たきり 状態になる。
1997年10月  体調不良のまま退院。頭痛が治まらない。なぜ、頭痛が止まらないのか、その原因は判らず自宅療養に入る。頭 痛による睡眠不足で精神的におかしくなる。
腫瘍は残っ た。。。
  計3回の手術でも、腫瘍が完全には取れませんでした。腫瘍が血管に巻いていたらしく、「無理に取ろうとすると命にかかわるので残しました」とさ・・・。も し残した腫瘍が大きくなってきたら放射線治療をおこなうので定期的に画像検査をするよう説明を受けました。月一回の定期検診(診察、血液検査)と半年ごと のMRI検査を、地元の病院で受け、何かあった場合、大学病院へ行けるようにしてもらいました。完全復帰のはずが糖尿病を併発してインスリン自己注射する 事になるとは・・・。これからの人生どうなるんだろう・・・。